倭人伝の道
2-10早良
藤崎遺跡
 福岡市早良区百道・藤崎所在、室見川河口右岸の湾岸砂丘上に位置する弥生時代から中世に渡る複合遺跡。
 1912年、三角縁盤龍鏡と素環頭太刀(そかんとうたち)が副葬された箱式石棺が発見され(第1地点)、藤崎古墳としてその名を知られるようになりました。1917年には中山平次郎によって箱式石棺出土の方格渦文鏡が報告され(第2地点)、1930年には鏡山猛・永倉松男により同地点での石棺、甕棺と弥生土器の発見が報告されています。この土器は遠賀川系土器として、弥生時代前期土器の模式標本となりました。また、昭和30年代に、甕棺とともに、弥生時代終末〜古墳時代初頭の西新式土器の指標となる土器の出土が報告されました(第3地点)。その後、福岡市教育委員会による一連の調査により、弥生時代には甕棺墓を中心とする墓地群、古墳時代初頭には方形周溝墓が営まれていたことが判明しました。特に1980年、福岡市による第3次調査で、6号方形周溝墓の主体部から三角縁二神二車馬鏡、刀子(とうす)、釶(やりがんな)、素環頭太刀、7号方形周溝墓の周溝から珠文(しゅもん)鏡、4次調査では10号方形周溝墓の主体部から小形ほう製鏡が出土しており、早良平野での首長層の発展を探る上でも重要な遺跡となっています。

藤崎遺跡周辺地図
(福岡市教育委員会1986『藤崎遺跡III 福岡市埋蔵文化財調査報告書』第137集より引用・改変)

石棺写真
(島田寅次郎1925「藤崎の石棺」『福岡縣史蹟名勝天然記念物調査報告書 第一輯』より引用。前面の石は石蓋の一部)

三角縁二神二車馬鏡写真
(福岡市立歴史資料館1986『特設展 早良王墓とその時代 墳墓が語る激動の弥生社会』より引用)

作成者:渡邊尭志(九州大学大学院人文科学府)
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