倭人伝の道
2-11奴国
 すぐおかもと
 須玖岡本遺跡
 福岡県春日市所在の弥生時代中・後期の墓地遺跡。1899年に、いわゆる「王墓」の発見があり、数多くの遺物を出土する弥生時代の重要遺跡であることが認識されていました。その後、九州大学医学部中山平次郎が遺跡付近を丹念に踏査し、多数の遺物を採集しました。九州大学考古学研究室には中山氏が採集した遺物が収蔵されており、特に「王墓」に副葬されていたと考えられる前漢鏡の破片は多数におよびます。1929年、京都大学による初めての本格的調査がなされ、甕棺墓地に関する発掘・記録がはじめておこなわれました。1962年、九州大学考古学研究室と福岡県教育委員会の共同調査がおこなわれ、設定された調査区3ヶ所のうち、2ヶ所から合わせて甕棺墓19基・土坑墓3基が検出されました。調査では、銅剣やガラス小玉が甕棺墓から出土しました。また、この調査で、甕棺を挿入した土壙(どこう)の存在が初めて確認され、遺構の切り合い関係が判明し、甕棺墓群の形成過程を検討する糸口となりました。

須玖岡本遺跡周辺地形図
(春日市教育委員会編1994『奴国の首都須玖岡本遺跡』より一部改変)

15号甕棺内銅剣出土状況
(鏡山猛・森貞次郎・岡崎敬・渡辺正気・小田富士雄編1963『福岡県須玖・岡本遺跡調査概報』より)

調査区遺構配置図
(鏡山猛・森貞次郎・岡崎敬・渡辺正気・小田富士雄編1963『福岡県須玖・岡本遺跡調査概報』より)
拡大図が御覧いただけます。

作成者:田尻義了(九州大学大学院比較社会文化研究院)
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