倭人伝の道
2-14 島原
 くれいしばる
 礫石原遺跡
 長崎県島原市、雲仙岳北部の標高230〜300mの火山麓扇状地に所在する縄文時代早期から晩期にかけての複合遺跡。
 1955年以降、数多くの調査が行われました。そのうち、九州大学考古学研究室が関係した調査は、鏡山猛(かがみやまたけし)が主任を務めた日本考古学協会西北九州総合調査特別委員会による1960・61年の調査です。これらを通じて、縄文時代晩期中頃の平地式住居、埋設土器(まいせつどき)、配石遺構(はいせきいこう)などが確認されました。埋設土器や配石遺構は墓の一種であると考えられています。縄文時代晩期終末には、支石墓と呼ばれる墓制が朝鮮半島から伝来しますが、縄文時代晩期中頃の礫石原遺跡はその直前の墓制の様相を示していると言えるでしょう。また、籾(もみ)の圧痕が付いた土器片や農耕に関連する石製の鍬先(くわさき)と考えられている扁平打製石斧(へんぺいだせいせきふ)なども出土しました。このように礫石原遺跡は、大陸起源の農耕文化の伝来を考える上で重要な遺跡です。

遺構配置図および集石墓 (配石遺構 )
鏡山猛ほか(1962)島原半島の考古学調査第二次概報.
九州考古学14号

配石遺構および埋設土器
賀川光夫(1969)縄文時代のカメ棺(3)考古学ジャーナル37号.
古田正隆(1977)礫石原遺跡.百人委員会
拡大図をご覧いただけます。→
作成者:板倉有大(九州大学大学院比較社会文化学府)
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