石炭に関連する展示物の紹介

松岩


産地:嘉穂郡勢田村 明治炭坑
 石炭層の中に珪化した植物の根幹が含まれていて、筑豊炭田では松岩と呼ばれていました。植物組織の隙間に地下水から珪酸(シリカ)分が沈殿したものです。石炭層が4千万年前のぬますぎ属の繁茂した沼地の森林から生成したことが分かります。(幅70cm)

石炭


産地:筑豊炭田(幅70cm)

石炭(高島炭鉱)


産地:長崎県西彼杵郡 高島炭鉱
 旧三菱石炭鉱業(株)・高島炭鉱の18尺層から採取された石炭です。(幅40cm)

海軍第1種煉炭


製造:海軍燃料廠(昭和初期?)
 明治38年海軍省は軍艦燃料の無煙化のため、海軍煉炭製造所(大正10年に海軍燃料廠と改称)を徳山に設置してピッチ煉炭を製造した。(幅30cm)

高島炭鉱模型


 高島は長崎港から南西へ15キロほどの位置にある島で、「宝永(1704-1711)のころ、肥前平戸の領民五平太なるもの」が初めて石炭を採掘したといわれています。佐賀藩とグラバー商会により開発され、1868(明治2)年に北渓井坑(ほっけいせいこう)(深さ45メートル)が完成、日本最初の洋式炭鉱の初まりとして知られています。1987(昭和62)年に閉山しました。
 原作は明治42年田中孤峰作であり、北から飛島、高島、二子島、中の島、端島と並び、現在は埋め立てられている高島と二子島はまだつながっていません。グラバーによる立坑はすでに廃坑となっている時期ですが、1902(明治35)年に完成した蛎瀬立坑が見えるのは、後に補ったものでしょうか。  縮尺は水平方向2000分の1、縦方向は1000分の1で高さが誇張されています。高島の西側の崖に石炭の層が描かれ、さらに海底面下に連続して海底炭田を作っている様子が理解できます。黄色は砂岩、青は頁岩、黒が石炭層を表しています。旧採鉱学科の備品台帳には昭和6年東京帝国大学工学部より保管転換と記されていました。(幅305cm)
 なお、本模型は田中孤峰原作のものに基づいて新たに制作されたものです。

高島炭鉱模型(原作)




本展示用に制作された高島炭鉱模型

ウオータライナー5番 C型ハンマー式さく岩機


 現在のハンマーさく岩機の基本構造となる湿式のさく岩機は、1898年に発明されました。日本には、1901(明治34)年に輸入されています。5番型は1903年に製作され、山野炭鉱が1909(明治42)年に輸入しています。(幅150cm)1916(大正5)年購入。

ムードンP38型コールピック


 小型の手持ちさく岩機を単純化したコールピックは、1914(大正3)年高島炭鉱で、1922年頃には筑豊の田川と北海道の夕張で試用され、初めは良い結果が得られなかったのですが、後に急速に普及し1929(昭和4)年には、筑豊で使用された221台のピックハンマーの半数がこの型でした。(幅75cm)昭和12年購入。

回転打撃式さく岩機(東洋TY-24型)


 東洋のTY-24シリーズとして著名なさく岩機です。使用目的に対応した数多くの種類があり、レッグ(シフター)を取付けてドリフター、ストーパなどとして、戦後の昭和20〜30年代にかけて鉱山から土木工事まで広く使用されました。(幅65cm)直方石炭記念館所蔵

火薬類(見本)


 沿層掘削および岩盤掘進に使われる火薬類・火工品類です。(幅60cm)

シールド自走枠 模型(1:10スケール)


 昭和40年代中期に製作されたMK型(三作製)の模型と思われます。切羽の支保として、昭和30年代から開発が図られた組枠・自走枠のほぼ完成品と言えるでしょう。シールド自走枠の導入は切羽の安全と大量出炭に大いに貢献しました。(幅40cm)大牟田市石炭科学館所蔵

フェースローダ(三作15型)模型(1:10スケール)


 沿層坑道(石炭層の中に掘られた坑道)の掘進用の積込機械の模型です。発破で起砕された石炭を古くは人力で炭車に積込んでいましたが、これに代わるものとして、ロッカーシャベル、サイドダンプローダなどとともに用いられ、掘進の省力化、スピードアップに貢献しました。(幅75cm)大牟田市石炭科学館所蔵


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