− 近代化への道をつくった九州の金 −


 17世紀のオランダや中国との貿易では、それまでの銀にかわって金と銅が主要な輸出品になります。当時の金の生産の主力は山ヶ野金山を始めとする薩摩藩でありました。オランダ貿易をとおして日本はヨーロッパの科学と技術を受け入れることになり、金銀銅の輸出と引きかえに輸入した大量の生糸は、国内の製糸工業の基礎をつくったと考えられます。

 明治以来の日本と九州の産金量の移り変わりをみると、全生産量は745トンとなり、九州の278トンは37パーセントに当たります。1940年におよそ25トンの産金が記録されていますが、これは太平洋戦争突入に備え、国策として金の生産を奨励した結果です。小規模の金山から、経済性を度外視した産金があったためです。また、戦後の経済の高度成長期には、銅鉱山などからの副産物が大量に加わり毎年8トン前後の金が産出されました。


 金の価格が自由化された1970年代、世界各地で金鉱床探しが始まりました。日本でも調査が進み、1981年に鹿児島県の菱刈町で金の大鉱床が発見されたのです。この菱刈金山は、1985年の生産開始以来、毎年7トン前後、総量で100トン以上の金を産出しています。金の総生産量が1トン程度をこえる金山の生産量に、菱刈金山の埋蔵量も加えて、全国の地域ごとに金の資源のポテンシャルを評価してみます。九州の金の総量は298トンとなり、全国(631トン)の47パーセントになります。

日本と九州の金の生産量の変化

1.金とは?
2.九州は黄金の島 −金鉱床の分布−
3.金鉱床はどうしてできる? −火山の活動と熱水系の発達− (1)
4.金鉱床はどうしてできる? −火山の活動と熱水系の発達− (2)
5.金鉱床をさがす手がかり (1)
6.金鉱床をさがす手がかり (2)
7.日本が世界に誇る金鉱床 −菱刈鉱床− (1)
8.日本が世界に誇る金鉱床 −菱刈鉱床− (2)
9.日本が世界に誇る金鉱床 −菱刈鉱床− (3)
10.金が石英鉱脈にあるのは何故? −実験的アプローチ− (1)
11.金が石英鉱脈にあるのは何故? −実験的アプローチ− (2)

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