■モンゴロイドの形成■

 今から400〜500万年前に遠くアフリカの熱帯域で生まれた人類(猿人)は、その後、l00万年余り前の原人の時代に初めてアフリカから脱出し、ユーラシア大陸各地へと広く拡散した。アジアでも、最初は熱帯域に住み着いた原人(ジャワ原人)やその子孫達は、やがて様々な環境への適応能力を増して徐々に北上し始め、遅くとも50〜60万年前には北緯40度の北京・周口店の位置まで達していたことがわかっている。彼ら北京原人の歯には、早くもモンゴロイド的特徴(シャベル状切歯)の萌芽がみられるとの指摘があり、その仲間が、ほぼ同じ頃、陸地続きになっていた日本列島ヘも初めて足を踏み入れた可能性がある。将来日本でも、前期旧石器が発見される可能性があるだろう。


 先史モンゴロイドの一派は、その後さらに北上を続け、おそらく4〜5万年前には北緯50度を、約2万5千年前にはついに北緯60度を越えて、極北の広大なシベリアへの拡散を果たす。彼らの一部は、さらに氷河期に陸地化したベーリング海峡(ベーリンジア)を渡り、無人の大地、アメリカ大陸にも流入していった。アメリカ大陸に住むインディアンやイヌイット(エスキモー)、アリュートの人々も、われわれと同じモンゴロイドの一員であることが、近年の遺伝子分析で明らかにされている。


 卓越したマンモスハンターとして広大なシベリアを駆け回った彼ら北方モンゴロイドは、その寒く厳しい環境で生き延びるため、生活文化のみならず自身の体も変化させねばならなかった。日本人も含めた現在の北方モンゴロイドの特徴、扁平で目の細い、頬骨の張った顔つき、手足の短いずんぐりした体型は、モンゴロイドの一派が酷寒の地に定着する過程で生存に有利な形質として獲得したものとされ、人類学ではそうした特徴をもつ人々を、「新モンゴロイド」と呼んでいる。遥か後世の弥生時代に日本列島に流入し、日本人の形成に大きな役割を果たした人々も、この大陸北方を主な原郷とする新モンゴロイドであった。

遺伝的近縁図

 世界の18人類集団の遺伝的近縁関係を23種類の遺伝子の情報をもとに近隣結合法によって推定した結果(斎藤成也)。図下部のオーストラロイドとアメリンドは、アジアのモンゴロイドと共に、広義のモンゴロイド集団に含まれる。日本人は外見だけではなく、遺伝子レベルでも、中国や朝鮮半島の人々に最も近い。

 100万年前にアフリカを出た原人はユーラシア大陸の回廊を通ってスンダランドに到達した。そこで繁栄したのがジャワ原人である。彼らはやがて、北へ向かって北京原人になった。その一部は日本列島にも流入した。(馬場 1993年)

 「新人アフリカ単一起源説」に基づいて描いた新人(現代型サピエンス)の拡散。10〜15万年前に、アフリカでいち早く現世人類へと進化した人々が、その後アフリカから世界中に広がって各地の原人の子孫達と置換した、とする説で、遺伝子分析の結果(イブ仮説)からも支持されている。しかしその一方で、特にアジアでは北京原人などにすでに現代モンゴロイドに繋がる特徴が現われており、化石の形態にも連続的な変化が見られることから、この説に対する批判も根強い。ウォルポフらは、100万年余り前にアフリカから出た原人達が、世界各地で次第に地域色を強めて新人へと進化した、とする「多地域進化説」を提唱して反論している。はたしてどちらが真実なのか、目下、世界中の人類学者を巻き込んだ激しい論争が続いている。


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